「世界遺産検定」歴史地区と旧市街編 2級レベル

こんにちは。みやです。

世界遺産検定2級の歴史地区と旧市街をまとめたいと思います。

 

シエナの歴史地区

シエナでは、12世紀に市民による政治組織「コムーネ」が成立し、商業、金融業の中心となる自治都市として発展しました。

シエナの北約60㎞には、同じように金融業を中心に栄えた都市国家フィレンツェがあります。

フィレンツェ公国とシエナ共和国は商業利権や領地などをめぐってたびたび衝突していましたが、14世紀半ばに起こったペストの大流行で様相が変わっていきました。

シエナはペストによる打撃で、最盛期に約10万人だった人口が3万5000人に激減、街は急速に衰退し、16世紀中頃フィレンツェ公国に併合されました。

歴史地区には、中世の歴史的建造物がほぼ当時のまま残っています。

「世界で最も美しい広場」と賞賛された扇形のカンポ広場には、14世紀に完成した高さ102mにおよぶ「マンジャの塔」をもつゴシック様式の美しい市庁舎などが立ち並びます。

 

 

プラハの歴史地区

チェコの首都プラハは、水量豊かなヴルタヴァ川(モルダウ川)と、千を超える歴史的建造物が調和した美しさを誇ります。

その歴史は、6世紀後半にスラヴ民族がヴルタヴァ川の河岸に築いた集落や砦に始まりました。

14世紀半ば、ボヘミア王カレル1世が神聖ローマ皇帝カール4世として即位すると、プラハは神聖ローマ帝国の首都になりました。

カール4世はイタリアやドイツの芸術家をプラハに招聘し、帝都にふさわしい都市改造に着手しました。

1419年に宗教対立からフス戦争が勃発すると、長らく混乱状態に陥り、その後も動乱や紛争が相次ぎました。

16世紀にはハプスブルク家を国王に迎えてカトリック化が進み、17世紀にプロテスタントの反乱に端を発する三十年戦争が起きました。

現在プラハに残る3000以上の歴史的な建造物のうち、1500余りの建物が歴史的・文化的価値があると認められています。

プラハ城やカレル橋のほか、ティーンの聖母聖堂、カール4世の命で再建工事がはじまり1929年に完成した聖ヴィート大聖堂などさまざまな建造物が華やかな時代の面影を伝えています。

 

 

ブダペスト:ドナウ河岸とブダ城地区、アンドラーシ通り

ブダペストは、10世紀末にマジャル人が建国したハンガリー王国の首都としての歴史を伝える、ブダ地区と近代ハンガリーを象徴するペスト地区からなります。

15世紀にマーチャーシュ1世によってルネサンス様式に改築されたブダ城は、オスマン帝国に制圧されますが、17世紀後半にハプスブルク家が奪還しバロック様式で再建されました。

18世紀にはマリア・テレジアが大規模な増改築を行いました。

 

 

シギショアラの歴史地区

ルーマニア中部のシギショアラは、13世紀にハンガリー王国の移民政策によって入植したドイツ人たちがつくった城下町です。

入植した商人や職人たちはギルドを形成し、数々の商業的特権を獲得しました。

14世紀創建の時計塔は、1676年の大火で焼失しましたが、バロック様式で再建されました。また『吸血鬼ドラキュラ』のモデルとなったヴラド3世の生家があることでも知られています。

 

 

ポルトの歴史地区

ドウロ川の河口に位置するポルトには、旧市街で最も古いポルト大聖堂や内部が金泥で覆われたサン・フランシスコ教会、ポルトガルで最も高い76mの鐘楼クレリゴスの塔など、海洋交易で繁栄した商人たちが建てた、さまざまな様式の歴史的建造物が残っています。

ポルトでは独特の甘みをもったポートワインを18世紀から輸出しており、旧市街とワイン工場のあるドウロ川対岸を19世紀にエッフェルの弟子が設計した上下2段の鉄橋「ドン・ルイス1世橋」が結んでいます。

 

 

リガの歴史地区

ラトビアの首都リガは、13世紀初頭、ローマ教皇の命を受けた宣教師と十字軍によって築かれました。

その後ドイツから移住してきた商人によって発展し、13世紀後半にはハンザ同盟に加盟しました。

18世紀の帝政ロシア時代に建造された新市街には、富裕層が建てたユーゲントシュティール様式の建築物が立ち並び、建築家ミハイル・エイゼンシュテインが設計した集合住宅も残っています。

 

 

ドゥブロヴニクの旧市街

13世紀以降、地中海交易の重要拠点のラグーサ共和国としてヴェネツィアと並ぶ繁栄を遂げたドゥブロヴニクには、さまざまな建築様式が混在する美しい街並みが残っています。

1667年の大地震による壊滅的な被害から立ち直るも、1990年代のユーゴスラヴィア崩壊による内戦で再び深刻なダメージを受けました。

 

 

ウィーンの歴史地区

古代ローマ軍が築いた駐屯地を起源とするウィーンは、ハプスブルク家の王都として繁栄しました。

19世紀半ば、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は旧市街を囲んでいた城壁を撤去してリンクシュトラーセと呼ばれる環状道路をひき、沿線には近代的な公共建築を築くなど近代都市への大改造を行いました。

 

 

モスクワのクレムリンと赤の広場

クレムリンと赤の広場は、モスクワ大公国からロシア帝国、ソビエト連邦、現在のロシア連邦に至る歴史が刻まれた場所です。

城壁内にはウスペンスキー大聖堂をはじめ壮麗な聖堂群や宮殿が建てられました。城壁外には15世から大規模な市場が開かれていた「赤の広場」があります。

 

 

鼓浪嶼(コロンス島):歴史的共同租界

厦門市にある鼓浪嶼(コロンス)は、1843年、南京条約に基づいて厦門が開港し重要な貿易港になると、1903年から鼓浪嶼は外国人のための居留地(国際共同租界)となりました。

 

 

ジェンネの旧市街

ニジェール川とその支流のバニ川に挟まれた内陸のデルタ地帯に広がるジェンネは、内陸部と都市をつなぐサハラ交易の中継都市として発展し、アメリカにあけるイスラム教布教に重要な役割を果たしてきました。

日干しレンガの土台に泥を塗って仕上げるスーダン様式の家々が軒を連ね、その中心には高さ11mの大モスクがそびえます。

2016年、保護体制の不備のため危機遺産登録されました。

 

 

ケベック旧市街の歴史地区

カナダ東部のケベックは、17世紀にフランスの植民地「ヌーヴェル・フランス(新しいフランス)」の拠点として築かれた城塞都市です。

1774年にケベック法が制定され、イギリスの植民地でありながらフランスの民法の効力、信仰の自由、フランス語の使用が認められました。

 

 

例題

「シエナの歴史地区」に関して、12世紀頃市民によって成立した政治組織の名前は何か

1、ハンザ同盟

2、コムーネ

3、リンクシュトラーセ

4、フィレンツェ公国

 

 

 

                                   答え2      

1のハンザ同盟は「リガの歴史地区」

3のリンクシュトラーセは「ウィーンの歴史地区」     

 

 

世界遺産検定2級の公式テキストを参考にしています。  

くわしく学ぶ世界遺産300 世界遺産検定2級公式テキスト<第4版> [ 世界遺産検定事務局 ]

価格:2,200円
(2022/2/12 02:44時点)
感想(4件)