「世界遺産検定」世界の宗教編

こんにちは。みやです。

世界遺産検定を受けようと思うので、勉強のついでにまとめたいと思います。

 

黄山

黄山|中国 世界遺産|阪急交通社

登録年1990年/2012年範囲変更   登録基準ⅱ、ⅶ、ⅹ

中国南東部の「黄山」は、標高1800m級の蓮花峰、光明峰、天都峰の3つの峰がそびえる山岳地帯です。一帯には2つの湖、3つの滝、24の渓谷が点在し、中国の名山の代表として「天下の名景は黄山に集まる」と讃えられてきました。

ここは古代中国の伝説の王である黄帝が仙人となった場所とされ、道教および仏教の聖地として信仰を集めています。古くは「黟山」と呼ばれていたが、唐の玄宗が黄帝の伝説にちなみ黄山と改名し、数世紀にわたり多数の寺院が建てられました。

中国の芸術・文化にも多大な影響を与えた景観は、「奇松」、「怪石」、「雲海」、「温泉」によってつくり出され、「黄山四絶」とも呼ばれています。

奇松は、固有種の黄山松を指し、樹齢100年を超えるものが約1万株も自生しています。

オークの一種であるアラカシなどの植物やコウノトリ、トモミガモなどの鳥類を含む多くの絶滅危惧種の生息域であり、自然遺産としての価値も高い。

 

タプタプアテア

タヒチ「タプタプアテア」がユネスコ世界文化遺産に登録|タヒチ観光局 ...

登録年2017年   登録基準ⅲ、ⅳ、ⅵ

タプタプアテアは、「ポリネシアン・トライアングル」の中心に位置するフランス領ポリネシアのライアテア島にあります。

この地はポリネシアの人々の世界と祖先や神々の世界が出会う重要な聖地と考えられ、海辺にはオロ神を祀る重要なマラエ(祭祀場)が築かれました。

世界遺産には、マラエのほかに森に覆われた渓谷やラグーンやサンゴ礁なども含まれ、文化的景観として登録されました。

 

国立歴史文化公園‘‘メルヴ‘‘

国立歴史文化公園“古代メルブ”|トルクメニスタン|世界遺産オンライン ...

登録年1999年   登録基準ⅱ、ⅲ

トルクメニスタンのカラクム砂漠にあるメルヴは、紀元前6世紀頃から発展したシルク・ロードのオアシス都市です。

セルジューク朝の首都となった12世紀頃最盛期を迎え、遺跡からはイスラム教、ゾロアスター教、キリスト教など多様な宗教の遺構のほか、女神や動物を表現した土偶、骨壺や彩画陶器といった遺物も見つかっています。

また仏塔や僧院跡など世界最西端とされる仏教遺跡が現存することでも知られています。

 

アンコールの遺跡群

アンコールの遺跡群|カンボジア|世界遺産オンラインガイド

登録年1992年   登録基準ⅰ、ⅱ、ⅲ、ⅳ

カンボジア北西部の「アンコールの遺跡群」は、クメール人が興したアンコール朝の時代に築かれた都市遺跡であり、歴代の王が築いた都城や寺院が残ります。

カンボジアを象徴する建造物であるアンコール・ワット本殿の回廊には、ヒンドゥー神話の「乳海攪拌」の場面などが、精巧な浮き彫りで描かれています。

アンコール・トムの仏教寺院のバイヨンには、54基の巨大な四面仏顔塔が立ち並んでいます。

 

タフテ・ソレイマーン

タフテ・ソレイマーン|イラン|世界遺産オンラインガイド

登録年2003年   登録基準ⅰ、ⅱ、ⅲ、ⅳ、ⅵ

ゾロアスター教の聖地であるタフテ・ソレイマーンは、紀元前6~前4世紀のアケメネス朝時代から聖域として崇められています。

3世紀頃にはアザル・ゴシュナスブ寺院に多くの巡礼者を集め、やがて寺院は「タフテ・ソレイマーン(ソロモンの王座)」と呼ばれるようになりました。

 

イエス洗礼の地「ヨルダン川対岸のベタニア」(アル・マグタス)

イエス・キリスト洗礼の地「ヨルダン川対岸のベタニア」(アル ...

登録年2015年    登録基準ⅲ、ⅵ

洗礼者ヨハネがイエスを洗礼したと言われるベタニアはヨルダン川の東岸にいいする考古遺跡です。

聖エリアの丘、テル・アル・カッラールとヨルダン川近くの聖ヨハネの教会群地区の2つのエリアから構成されています。

ローマやビザンツ時代の教会群、礼拝堂、洗礼が行われた水場など遺跡が残り、キリスト教徒の巡礼地であり続けています。

 

ハイファと西ガリラヤのバハイ教聖所群

ハイファと西ガリラヤのバハーイー教聖地群|イスラエル|世界遺産 ...

登録年2008年   登録基準ⅲ、ⅵ

イスラエル北部のハイファと西ガリラヤには、19世紀にイスラム教の一派、バーブ教から独立したバハイ教の聖地が11カ所存在します。

アッコにあるバハイ教の創始者バハウッラーの霊廟や西ガリラヤにあるバーブ教の祖バーブ(サイイド・アリー・ムハンマド)の霊廟などが登録されています。

 

エローラーの石窟寺院群

エローラ石窟群|インド 世界遺産|阪急交通社

登録年1983年   登録基準ⅰ、ⅲ、ⅵ

インド中西部、アジャンターの南西約100㎞の山地に位置する「エローラーの石窟寺院群」には、各時代ごとに築かれた仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の3つの宗教の石窟寺院が南北2㎞にわたって立ち並んでいます。

インドでも最後にできた仏教窟で、祈りを捧げるチャイティヤ窟である第10窟にはストゥーパの前に仏倚座像を配した巨大な仏龕が設置されています。

第16窟のカイラーサ寺院は、エローラー石窟寺院群のなかでも最大の規模を誇ります。このヒンドゥー教寺院はひとつの岩からできた「石彫寺院」で幅46m、奥行き80m、高さは34mあり、彫刻が屋根や柱などを覆っています。

これらの彫刻はのみと槌だけで彫られたもので、古代インドの叙事詩「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」の世界を見事に描いています。

ジャイナ教徒は、カイラーサ寺院に刺激されて、盛んに石彫寺院を造営したが、多くの寺院が未完のままで終わっています。

3つの宗教が共存したこの石窟寺院群は古代インドの寛容の精神を表しています。

 

カジュラーホの寺院群

過激すぎる?男女が激しく交わり合う・インド「カジュラーホ遺跡 ...

登録年1986年   登録基準ⅰ、ⅲ

インド中部のカジュラーホには、中世インド宗教建築の粋をなす寺院群があります。

寺院群は西群、東群、南群に分けられており、西群にはすべてヒンドゥー教寺院で高さ31mにも達するシカラ(砲弾形の尖塔)をもつカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院が最大の規模を誇ります。

一方、東群に多いジャイナ教寺院ではパールシュヴァナータ寺院が最も大きい。

寺院には細密な彫刻が施され、性的な情景を奔放に表現したミトゥナ(男女一対の意)と呼ばれる彫刻が有名です。

 

プレア・ビヒア寺院

プレアヴィヒア寺院 - Wikipedia

登録年2008年   登録基準ⅰ

カンボジア北部、高さ547mの崖上にあるプレア・ビヒア寺院は、9世紀にクメール人が築き、11世紀前半に再建されたヒンドゥー教の聖地です。

タイとの国境未画定地域に位置したためにカンボジア内戦時にも破壊を免れたが、世界遺産に登録された際にタイとの間で国境問題が再燃しました。現在はカンボジア領になっています。

 

ラニ・キ・ヴァヴ:グシャラト州パタンにある王妃の階段井戸

グジャラート・パタンにある世界遺産!ラニ・キ・ヴァヴ(女王の階段 ...

登録年2014年   登録基準ⅰ、ⅳ

インド西部サウスワティ川近くのラニ・キ・ヴァヴは、傑出した芸術性と聖性を誇る階段井戸です。11世紀に王をなくした妃が記念碑として建てたことから「王妃の階段井戸」の名前がつきました。

階段井戸は、紀元前3000年ごろからインド各地で造られた地下水貯蓄システムです。

水の神聖性を祀る寺院としても利用され、神話や宗教的要素を表現した500体を超える彫刻が並びます。

 

聖都アブー・メナー

アブー・ミーナー(エジプト) 2014.2.23』ナイル川流域(エジプト)の ...

登録年1979年/2001年危機遺産登録   登録基準ⅳ

エジプト北部のアブー・メナーは、コプト教の聖地です。

3世紀にローマ帝国からキリスト教弾圧を受けた際に聖者メナスが抵抗し殉教したため、その埋葬地として信仰を集めました。

ビザンツ帝国の歴代皇帝やアレクサンドリア総大司教などの庇護も受け、巡礼都市として発展し、イスラム勢力に占領された8世紀以降アブー・メナーと改称されたが、13世紀に放棄されました。

現在、周囲の干拓により地下水位が上昇し、地盤軟化により遺産が崩壊の危機にあっています。

 

エルサレムの旧市街とその城壁群

エルサレムの旧市街とその城壁群 |世界遺産オンラインガイド

登録年1981年/1982年危機遺産登録    登録基準ⅱ、ⅲ、ⅵ

エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの宗教の聖地です。

紀元前1000年頃、ダヴィデによってエルサレムは古代イスラエル王国の首都となりました。

ダヴィデの後を継いだソロモンは「十戒」を納めた神殿をモリヤの丘に建てました。これによりエルサレムは政治的にもユダヤ人の中心となるが、紀元前63年にローマ帝国の支配下に入り、後70年にはローマ軍によって市街と神殿が破壊され、ユダヤ人は世界各地に離散(ディアスポラ)することになりました。

エルサレムはキリスト教徒にとっても、イエス・キリストが十字架刑に処された地として重要な聖地になっています。

イスラム教徒にとっても開祖ムハンマドが神の啓示を受けて天界に旅立った場所とされていることから、メッカ、メディナに次ぐ聖地として信仰を集めています。

エルサレムは3つの宗教の聖地となったが、領有権を巡って宗教間の争いが頻発しました。

エルサレムの旧市街は、オスマン帝国時代に築かれた約1㎞四方の城壁に囲まれており、歴史的、宗教的に重要な意味をもつ建造物が数多く残ります。

パレスチナとイスラエルによる領有問題や急速な都市化、巡礼者による観光被害などのため1982年から現在まで危機遺産リストに登録されたままです。