「世界遺産検定」仏教編

こんにちは。みやです。

世界遺産検定を受けようと思うので、勉強のついでにまとめようと思います。

 

サーンチーの仏教遺跡

アショーカ王の仏塔!インド最古の仏教遺跡「サーンチーの仏教建築物群 ...

登録年1989年   登録基準ⅰ、ⅱ、ⅲ、ⅳ、ⅵ

インド中部のサーンチーの仏教遺跡は、3つの大型ストゥーパ(仏塔)と祠堂、僧院など紀元前3~後12世紀につくられた仏教建造物が残る初期仏教の巡礼地です。

最も古い第1ストゥーパは、仏教の庇護者であったアショーカ王が各地につくった8万4000のストゥーパのひとつを核としています。

ドーム状をしたストゥーパは、高さ約16m、基壇の直径は約36mにもなります。基本的な部分は紀元前3世紀につくられ、紀元前2世紀末期今に伝わる大規模なストゥーパに拡張されました。

ストゥーパの周囲には、東西南北の4方向にトラナと呼ばれる大きな門が設置され、精緻なレリーフが施されています。このレリーフは象牙を彫る職人が浮き彫りで仕上げ、シッダールタ太子(ブッダの幼少時代)が城を出発したシーンなどが描かれています。

 

仏陀の生誕地ルンビニー

仏陀の生誕地ルンビニ|ネパール|世界遺産オンラインガイド

登録年1997年   登録基準ⅲ、ⅵ

ネパール南部、ヒマラヤ山麓のタライ高原に位置するルンビニーは、仏教の開祖ブッダ(釈迦)生誕の地とされる仏教4大聖地のひとつです。

ブッダの尊称で知られるシッダールタは、紀元前6世紀頃に釈迦族の王スッドーダナと王妃マーヤーの子として生を受けました。

紀元前250年頃、巡礼に訪れたアショーカ王はブッダの生誕地を示す石柱を建立し、後6世紀にはマーヤーデヴィ寺院が建造されました。

 

ブッダガヤの大菩提寺

ブッダガヤの大菩提寺(マハーボーディー寺院)|インド|世界遺産 ...

登録年2002年   登録基準ⅰ、ⅱ、ⅲ、ⅳ、ⅵ

ブッダが悟りを開いた場所とされるブッダガヤには、マハーボディ寺院(大精舎)と呼ばれる大菩提寺があります。

この寺院は、ブッダが瞑想した菩提樹の近くにつくられた道場を起源としています。

インド仏教美術がピークを迎えたグプタ朝時代の建築様式を今に伝えています。

菩提樹の下にはアショーカ王が寄進したとされる金剛宝座と、それらを囲む「欄楯」と呼ばれる石造の欄干があり、欄楯には仏教逸話をテーマとした精緻な浮き彫りが施されています。

 

ボロブドゥールの仏教寺院群

ボロブドゥール寺院|インドネシア 世界遺産|阪急交通社

登録年1991年   登録基準ⅰ、ⅱ、ⅵ

ジャワ島のボロブドゥールの仏教寺院群は、シャイレンドラ朝時代の8~9世紀頃に築かれた世界最大規模の仏教遺跡ボロブドゥール寺院と関連寺院群からなります。

自然の丘を生かして築かれたピラミッド状のボロブドゥール寺院は、下から順に約115m四方の基壇、5層の方形壇、3層の円形壇が重なった構造をもち、これは大乗仏教の宇宙観である「三界」を表現していると考えられています。

頂上には釣り鐘形のストゥーパがそびえ、立体曼荼羅といった様相を呈します。

 

聖地キャンディ

聖地キャンディ|スリランカ 世界遺産|阪急交通社

登録年1988年   登録基準ⅳ、ⅵ

山々に囲まれた中央高地に位置するキャンディは、2000年以上続いたシンハラ王国最後の都です。

王権の象徴であるブッダの犬歯(仏歯)をまつるダラダーマーリガーワ寺院(仏歯寺)があるこの地は、国民の7割を仏教徒が占めるスリランカにおいて最も重要な仏教の聖地とされています。

19世紀にシンハラ王国が滅亡すると、仏歯の管理は仏教僧団に移りました。現在、仏歯は仏歯堂聖室に納められているが、1日3回開帳されています。

 

アユタヤと周辺の歴史地区

アユタヤの古都歴史世界遺産□アユタヤと周辺歴史地区世界遺産□

登録年1991年   登録基準ⅲ

古くから水上交易の要衝として栄えたアユタヤは、14世紀半ばにアユタヤ朝の都が置かれ、以降400年にわたり繁栄しました。

14世紀にはクメール人のアンコール朝を滅ぼし、15世紀にはスコータイ朝を併合して勢力を拡大していきました。

17世紀にはヨーロッパやアジア諸国との交易も活発となり、日本との間でも朱印船貿易などの活発な交流が行われ、山田長政が傭兵隊長として活躍したと伝えられる日本人街跡もありました。

アユタヤに残されたプラ・プラーン様式の寺院をはじめとする遺跡は、アユタヤ朝独自の建築様式を伝える貴重な史料となっています。

 

古都ルアン・パバン

ルアン・パバン|ベトナム・ラオス 世界遺産|阪急交通社

登録年1995年/2013年範囲変更   登録基準ⅱ、ⅳ、ⅴ

ラオス北部のルアン・パバンは、14世紀半ばにラオス初の統一国家であるランサン王国の都となり発展した都市です。

上座部仏教を国教とした初代国王のファーグムは、アンコール朝から数多くの高僧を招くとともに、黄金の仏像であるパバンと多くの経典を取り寄せました。

この地に残る代表的な遺構の16世紀に創建されたワット・シェントーンは本堂が何層にも重なったルアン・パバン様式と呼ばれる屋根があります。

 

石窟庵と仏国寺

石窟庵と仏国寺|韓国 世界遺産|阪急交通社

登録年1995年   登録基準ⅰ、ⅳ

韓国南東部に位置する「石窟庵と仏国寺」はかつで統一新羅の都だった慶州郊外の吐含山中にある、仏教芸術の傑作とされる世界遺産です。

751年に統一新羅王朝の宰相であった金大城が、前世の父母のために石窟庵を現世の父母のために仏国寺を建立を開始したと伝えられています。

吐含山の山頂近くにある石窟庵は、方形の前室とドーム型の天井をもつ円形の主室を扉道と呼ばれる短い通路でつないだ前方後円型の人口の石窟寺院です。

主室には、純白の花こう岩を掘ってつくられた如来坐像が置かれています。本尊が向く東南東方向を辿ると、統一新羅の英主、文武王が眠る海中陵に行き当たります。

正門から参道に向かったところにある石垣の上には、伽藍が設けられています。仏国寺の伽藍は、大雄殿、極楽殿、毘盧殿を中心とする3つの領域に区分されており、それぞれ現世の娑婆世界、天界の西方極楽浄土世界、来世の蓮華大蔵を表すとされています。

 

雲岡石窟

雲崗石窟|中国|世界遺産オンラインガイド

登録年2001年   登録基準ⅰ、ⅱ、ⅲ、ⅳ

中国山西省の「雲岡石窟」には、1㎞の断崖の壁面に刻まれた252の石窟と5万1000体あまりの仏像があります。これらは中国における初期仏教芸術の傑作とされ、敦煌の莫高窟と龍門石窟とともに中国の3大石窟のひとつに数えられています。

452年に即位した北魏の文成帝は、皇帝と釈迦を同一視させることで皇帝の権威を高めようと試み、「雲曜五窟」と呼ばれる5つの石窟に自信を含む5人の皇帝を模した大仏を建立しました。

494年の洛陽遷都をきっかけに、石窟の存在は忘れ去られていったが、1902年に日本人建築家の伊東忠太石窟を発見し再び脚光を浴びました。

 

ラサのポタラ宮歴史地区

ラサのポタラ宮歴史地区|中国 世界遺産|阪急交通社

登録年1994年/2000、2001年範囲拡大   登録基準ⅰ、ⅳ、ⅵ

チベット中央にあるラサは、数々の僧院や宮殿が点在するチベット仏教の聖地です。

外層13階のポタラ宮は、最高指導者ダライ・ラマが居城とし、チベット文化を象徴する宮殿です。

1642年にダライ・ラマ5世がチベットを統一した後、ソンツェン・ガンポ王の築いた城をもとにポタラ宮が建てられました。

チベット仏教の総本山であるジョカン寺、歴代ダライ・ラマの夏の離宮であるノルブリンカが登録されています。