「世界遺産検定」イスラム教編
こんにちは。みやです。
世界遺産検定を受けようと思っているので、勉強のついでにまとめたいと思います。
- カイロの歴史地区
- ダマスカスの旧市街
- 聖都カイラワーン
- ムザブの谷
- マラケシュの旧市街
- ラバト:近代の首都と歴史都市の側面を併せもつ都市
- サナアの旧市街
- イスファハーンのイマーム広場
- メディナ・アサ―ラのカリフ都市
カイロの歴史地区
登録年1979年 登録基準ⅰ、ⅴ、ⅵ
エジプトの首都カイロは、7世紀にイスラム勢力がアフリカ大陸進出の拠点として築いた軍事基地から発展した都市です。ムハンマドの没後から10年にも満たない641年に、この街で最初のモスクが建設されていました。
10世紀半ば頃、ファーティマ朝がこの地を統治し、4代目のカリフがアラビア語で「勝利者の軍事都市」を意味するミスル・アル=カーヒラという都市を建設し、カーヒラを英語読みしたカイロが現在の呼び名となっています。
972年に建設されたアズハル・モスクはファーティマ朝を代表するモスクともいわれます。
12世紀からのアイユーブ朝の支配を経て、13~16世紀のマムルーク朝時代には、世界最大のイスラム都市となりました。
街の至るところにモスクやミナレットが建造され、14世紀には「1000のミナレットが立つ街」と称されました。
ダマスカスの旧市街
登録年1979年/2011年範囲変更/2013年危機遺産登録 登録基準ⅰ、ⅱ、ⅲ、ⅳ、ⅵ
シリア南西部に位置するダマスカスは、「旧約聖書」にも記述が残る世界最古の都市のひとつで、「旧約聖書」によるとアブラハムが旅の途中でこの地を訪れたと記されています。「新約聖書」ではキリスト聖母マリアの避難場所とされています。
メソポタミアとアラビア半島、地中海を結ぶ交通の要塞に位置することからローマ帝国、ウマイヤ朝、オスマン帝国など、さまざまな大国の支配を受けてきました。その間も商業都市として独自の地位を保ち続け「砂のダイヤ」と呼ばれるばんえいを築き上げました。
8世紀初頭にウマイヤ朝のアル・リワード1世が建造した、現存する世界最古のモスクとされるウマイヤ・モスクの多柱式の礼拝空間やモザイク画の装飾は、のちのイスラム建設に大きな影響を与えました。
ウマイヤ・モスクはアッシリアの時代から聖地とされていた場所に建てられており、かつてローマ時代にはユピテル神殿が、ビザンツ時代には聖ヨハネ聖堂がありました。そのため、モスク内にあるドーム型の墓所には洗礼者ヨハネの首が埋葬されている。
また、ザンギ―朝時代の12世紀半ばに建てられてた病院マーリスターンや18世紀半ばに建設されてたアズム宮殿、エルサレムを奪還したことで知られるサラディンが埋葬されたサラディン廟などもあります。
シリア国内では2011年より内戦が続いており、2013年にシリアの世界遺産6件すべてが危機遺産リストに記載されました。
聖都カイラワーン
登録年1988年/2010年範囲変更 登録基準ⅰ、ⅱ、ⅲ、ⅴ、ⅵ
チュニジアの北東にはるカイラワーンは、北アフリカにおける重要なイスラム教の聖地とされ、巡礼の時期になると多くのイスラム教徒が各地から訪れます。
670年頃、ウマイヤ朝のウクバがビザンツ軍を撃破した際、遠征の宿営地となったことがこの都市の起源です。
9世紀にアグラブ朝の首都となり最盛期を迎えました。
シディ・ウクバ・モスクとも呼ばれる大モスクは、北アメリカに建設された最初のT字型モスクのひとつとされ、この地方のモスク建設に多大な影響を及ぼしました。
ムザブの谷
登録年1982年 登録年ⅱ、ⅲ、ⅴ
アルジェの南約450㎞に位置する「ムザブの谷」には、11~12世紀頃にかけてベルベル人の一派ムザブ族が築いた城塞都市が点在します。
ムザブ族はイスラム教の少数派イバード派を信仰していたことで迫害され、この地に逃れてきました。
彼らは、ほとんど雨の降らないこの土地に井戸を掘り、地下水路を建造し、ナツメヤシの木を植えて美しいオアシス都市を築き上げてきました。
ミナレットの上部が王冠状になったモスクを中心に、ベージュやターコイズブルーに彩られた立方体の家屋が立ち並ぶ独特の都市景観は「キュビズム的」とも形容されました。
マラケシュの旧市街
登録年1985年 登録基準ⅰ、ⅱ、ⅳ、ⅴ
モロッコ中南部、アストラ山脈のふもとに位置するマラケシュは、1071年にベルベル人が興したムラービト朝の首都として築かれた都市です。
この時代から残るジャマ―ア・アル・フナ―広場は、午前中は市場、午後には屋台が立ち並びその活気あふれる景観は、「ジャマ―ア・アル・フナ―広場の文化的空間」としてユネスコの無形文化財にも登録されています。
ムラービト朝のあと、この地を治めたムワッヒド朝によって建てられたクトゥビーヤ・モスクは、高さ69mのミナレットをもち、スペインにあるヒラルダの塔。モロッコのハッサンの塔とともに「三大ミナレット」に数えられている。
ラバト:近代の首都と歴史都市の側面を併せもつ都市
登録年2012年 登録基準ⅱ、ⅳ
モロッコの首都ラバトには、歴史的なイスラム文化と近代的なヨーロッパ文化が共存しています。
旧市街に残るウダイヤのカスバ(ムワッヒド城壁と城門)やハッサンの塔は12世紀に都をラバトに移したムワッヒド朝の唯一の遺構であり、17世紀にはムーア人やアンダルシア人によって改修されました。
1912年にモロッコがフランス領になると、アンリ・プロストが近代的な都市計画に着手し、新市街には行政地区や住宅施設、試験植物園などが建設されました。
サナアの旧市街
登録年1986年/2015年危機遺産登録 登録基準ⅳ、ⅴ、ⅵ
イエメンの首都で政治経済、文化の中心地となっているサナアは、中世アラビア都市の面影を色濃く残しています。
イエメン西部の高原地帯にあるこの城塞都市は「ノアの箱舟」伝説に登場するノアの息子セムが建設したという伝説から、「マディーナット・サーム(セムの街)」とも呼ばれています。
世界最古の都市のひとつとされるサナアは、紀元前10世紀頃にはすでに乳香交易によって繁栄していました。
城壁のイエメン門をくぐると、スーク・アル・ミルフと呼ばれる塩の市場を中心に40もの区域に分かれたスークが広がります。
この旧市街を最も特徴づけているのが、6000棟もの高層住宅です。その多くは5~6階建てだが、なかには9階建て最大で高さ50mに達する住宅もあります。
これらの高層住宅には、鉄筋などは一切使われず花こう岩や玄武岩でできた土台に、「アドべ」と呼ばれる日干しレンガを積み上げてつくられています。
2015年に勃発したイエメン内戦によりサナア旧市街は爆撃を受け、危機遺産リストに登録されました。
イスファハーンのイマーム広場
登録年1979年 登録基準ⅰ、ⅴ、ⅵ
イラン中部にあるイスファハーンは、豊かな緑に囲まれたオアシス都市です。
16世紀末、サファヴィー朝の皇帝アッバース1世はこの街を首都と定め、コーランに記された楽園を手本とする壮大な建設をしました。
「世界の半分」とも称された街の中心には、2層構造の回廊に囲まれたイマーム広場が広がります。
メディナ・アサ―ラのカリフ都市
登録年2018年 登録基準ⅲ、ⅳ
メディナ・アサ―ラのカリフ都市は、10世紀半ばに後ウマイヤ朝によって築かれた都市遺跡です。
数年間の短い繁栄の後、1009~1010年に起こったカリフの時代に終わりを告げる激しい内戦の間に都市は放置され衰退しました。
都市の遺構は、20世紀初頭に発見されるまで1000年近くも忘れ去られていたため、今は失われてしまったイベリア半島におけるイスラム文明を深く伝える道路や橋、水利システム、建物、装飾、日常品などが状態よく残されています。