「世界遺産検定」古代ギリシャとヘレニズム編

こんにちは。みやです。

世界遺産検定を受けようと思っているので、勉強のついでにまとめたいと思います。

 

アテネのアクロポリス

アテネのアクロポリス|ギリシャ|世界遺産オンラインガイド

登録年1987年   登録基準ⅰ、ⅱ、ⅲ、ⅳ、ⅵ

ギリシャの首都アテネのシンボルであるアクロポリスは、世界的に有名なパルテノン神殿をはじめ、古代ギリシャ文明を象徴する建造物が集まる丘です。

オリンポス十二神の一神、戦いと知恵の女神アテナに由来する名をもつこの地域には、紀元前2000年頃から人々が住み始め、紀元前1500年頃には王宮の所在地となり都市が発展していきました。

その後、ギリシャ各地にポリスと呼ばれる都市国家が形成されていくなか、紀元前500年にアケメネス朝ペルシアとの間にペルシア戦争が勃発し、諸ポリスはデロス同盟を結成し大国ペルシアに対抗しました。

戦いのなか、アクロポリスは破壊されたがアテネはギリシャの勝利に大きく貢献し、デロス同盟の盟主としての地位を築きました。パルテノン神殿はペルシア戦争の勝利を祝って再建されました。

繁栄を謳歌するアテネにはソクラテスやプラトン、アリストテレスなどの著名な知識人が移り住み、哲学や芸術が発展し、ディオニソス劇場などではアイスキュロスなど3大悲劇詩人の劇が上演されました。

 

エピダウロスにあるアスクレピオスの聖域

アスクレピオスの聖地エピダウロスの魅力・地図・行き方【JTB】

登録年1988年   登録基準ⅰ、ⅱ、ⅲ、ⅳ、ⅵ

医療の神アスクレピオスの聖地であるエピダウロスには、紀元前390頃建築家テオドロスによって建てられたアスクレピアス神殿があります。

アスクレピオス神殿はドーリア式の神殿で病に苦しむ多くの巡礼者を集め、神殿の周囲には医療施設や運動施設、劇場が建てられ大規模な医療センターへと発展しました。

聖域の南東に残る劇場は、ギリシャ世界で最も美しいと評されています。

 

デルフィの考古遺跡

デルフィの考古遺跡|ギリシャ|世界遺産オンラインガイド

登録年1987年   登録基準ⅰ、ⅱ、ⅲ、ⅳ、ⅵ

ギリシャ中部、パスナソッス山の南麓に位置する「デルフィの考古遺跡」は、オリンポス十二神の一神で予言と音楽をつかさどる太陽神アポロンの聖地です。

「世界のへそ(中心)」と考えられえていたデルフィには、巫女による「アポロンの信託」が行われたアポロン神殿をはじめ、紀元前8~前4世紀にギリシャ世界随一の聖地として栄えた当時の建造物が数多く残されています。

 

ピリッポイの考古遺跡

ピリッポイの古代遺跡|ギリシャ|世界遺産オンラインガイド

登録年2016年   登録基準ⅲ、ⅳ

ギリシャ北東部の都市ピリッポイは、ヨーロッパとアジアを結ぶエグナティア街道が通る交通の要所でした。

紀元前356年にマケドニア王ピリッポス2世によって創建され、紀元前42年のフィリッピの戦い以降はローマ化し「小ローマ」として発展しました。

 

キレーネの考古遺跡

せかけんクイズ No.221 – 世界遺産検定

登録年1982年/2016年危機遺産登録   登録基準ⅱ、ⅲ、ⅵ

リビア北東部のキレーネは、アポロンの信託によって紀元前630年頃にエーゲ海のテラ島(サントリーニ島)から移住してきた住民によって築かれ、365年に地震の被害を受けるまで地中海貿易の中心都市として繁栄しました。

 

ブトリントの考古遺跡

アルバニア】ブトリントは古代の遺産が眠る街。しばし悠久の旅へ ...

登録年1992年/1999年範囲拡大/2007年範囲変更   登録基準ⅲ

アルバニア共和国の南部にある、紀元前7世紀後半に築かれたギリシャの港湾植民都市の遺構です。

低地の都市部と丘の上のアクロポリスの2区画に分かれ、都市部には円形劇場や住居、医療の神アスクレピオスを祀る神殿が残ります。

紀元前2世紀に古代ローマ帝国に併合されると、円形劇場は拡張され、競技場や公共浴場なども建設され、初期キリスト教時代のバシリカ式聖堂や洗礼堂などもみられます。

 

トロイアの考古遺跡

シュリーマン発掘のトロイの考古遺跡!木馬はギリシャ神話が舞台 ...

登録年1988年   登録基準ⅱ、ⅲ、ⅵ

トルコ西部の「トロイアの考古遺跡」は、紀元前3000年~後500年頃にかけて繁栄した都市の遺跡です。

ホメロスの叙事詩「イリアス」に記されたトロイア戦争の舞台とされています。

イリアスに描かれた伝説を信じたドイツの考古学者シュリーマンによって1873年に遺跡が発見され、世界的なセンセーションを巻き起こしました。

 

ネムルト・ダーの巨大墳墓

ネムルト・ダーの巨大墳墓 | 世界遺産プラス | 世界遺産をもっと楽しむ ...

登録年1987年   登録基準ⅰ、ⅲ、ⅳ

トルコ南東部のネムルト山の山頂にある「ネムルト・ダーの巨大墳墓」は、紀元前1世紀にコンマゲネ王国のアンティオコス1世が自身のために築いた墳墓の遺跡です。

アンティオコス1世は紀元前69年に即位し、ローマ帝国との交渉で自由を獲得した後、豊富な鉱物資源や交易によって王国を繁栄させてきました。

墳墓のふもとには、ギリシャやペルシアの神々とともにアンティオコス1世自身の石像が置かれています。それらの石像はヘレニズム文化の象徴であり、コンマゲネ王国がギリシャとペルシアの双方から強い影響を受けていたことの証となっています。

「王の星占い」と呼ばれるレリーフが施された石板には獅子や星々が彫られ、紀元前62年7月7日に水星と火星、金星が一直線に並ぶように描かれています。

この日はアンティオコス1世がローマ帝国からこの地を託された日とされます。