「世界遺産検定」歴史地区と旧市街編
こんにちは。みやです。
世界遺産検定を受けようと思っているので勉強のついでにまとめようと思います。
歴史地区と旧市街について書こうと思います。
- シエナの歴史地区
- プラハの歴史地区
- ブダペスト:ドナウ河岸とブダ城地区、アンドラーシ通り
- シギショアラの歴史地区
- ポルトの歴史地区
- リガの歴史地区
- ドゥブロヴニクの旧市街
- ウィーンの歴史地区
- モスクワのクレムリンと赤の広場
- 鼓浪嶼(コロンス島):歴史的共同租界
- ジェンネの旧市街
- ケベック旧市街の歴史地区
シエナの歴史地区
登録年1995年 登録基準ⅰ、ⅱ、ⅳ
トスカーナの丘陵地帯に位置しているシエナでは12世紀に市民による政治組織「コムーネ」が成立し、商業、金融業の中心となる自治都市として発展しました。
シエナの北約60㎞には、同じように金融業を中心に栄えた都市国家フィレンツェがあります。
フィレンツェ公国とシエナ共和国は商業利権や領地などをめぐってたびたび衝突したが、14世紀半ばに起こったペストの大流行でシエナは最盛期に約10万人だった人口が3万5000人に激減しました。街は急速に衰退し、16世紀中頃フィレンツェ公国に併合された。
歴史地区には、中世の歴史的建造物がほぼ当時のまま残っており、シエナの代表的な建造物といえるドゥオーモ(大聖堂)は、9世紀に創建された古い聖堂の遺構の上に立っています。
「世界で最も美しい広場」と賞賛された扇形のカンポ広場には、14世紀に完成した高さ102mにおよぶ「マンジャの塔」をもつゴシック様式の美しい市庁舎などが立ち並びます。
プラハの歴史地区
登録基準1992年/2012年範囲変更 登録基準ⅱ、ⅳ、ⅵ
チェコの首都プラハは、水量豊かなヴルタヴァ川(モルダウ川)と、千を超える歴史的建造物が調和した美しさを誇ります。
6世紀後半にスラヴ民族がヴルタヴァ川の河岸に築いた集落や砦から始まり、9世紀頃にはプラハ城の前身となる要塞とヴィシェフラト城が建設され、973年にはプラハに司教座も置かれました。
14世紀半ば、ボヘミア王カレル一世が神聖ローマ帝国カール4世として即位すると、プラハは神聖ローマ帝国の首都になり、プラハ市域の拡大やプラハ城の改装、東岸と西岸を結ぶカレル橋の建設などが行われました。
1491年に宗教対立からフス戦争が勃発すると、長らく混乱状態に陥りその後も動乱や紛争が相次ぎました。
プラハ城やカレル橋のほか、1365年に完成したティーンの聖母聖堂、1490年頃に完成した天文時計塔をもつ旧市庁舎、1881年に建てられたネオ・ルネサンス様式の国民劇場、カール4世の命で再建工事がはじまり1929年に完成した聖ヴィート大聖堂など、さまざまな建造物が華やかな時代の面影を今に伝えています。
ブダペスト:ドナウ河岸とブダ城地区、アンドラーシ通り
登録年1987年/2002年範囲拡大 登録基準ⅱ、ⅳ
ブダペストは、10世紀末にマジャル人が建国したハンガリー王国の首都としての歴史を伝えるブダ地区と近代ハンガリーを象徴するペスト地区からなります。
もともとブダとオーブダ、ペストの3つの街であったが1849年にドナウ川に「くさり橋」が架けられたことをきっかけにして合併しました。
15世紀にマーチャーシュ一世によってルネサンス様式に改築されたブダ城は、オスマン帝国に制圧されるが、17世紀後半にハプスブルク家が奪還しバロック様式で再建、18世紀にはマリア・テレジアが大規模な増改築を行いました。
シギショアラの歴史地区
登録年1999年 登録基準ⅲ、ⅴ
ルーマニア中部のシギショアラは、13世紀にハンガリー王国の移民政策によって入植したドイツ人たちがつくった城下町です。入植した商人や職人たちはギルドを形成し、数々の商業的特権を獲得し発展していきました。
14世紀創建の時計塔は、1676年の大火で焼失したがバロック様式で再建された。また、「吸血鬼ドラキュラ」のモデルとなったヴラド3世の生家があることでも知られている。
ポルトの歴史地区
登録年1996年 登録基準ⅳ
ドウロ川の河口に位置するポルトには、旧市街で最も古いポルト大聖堂や内部が金泥で覆われたサン・フランシスコ教会、ポルトガルで最も高い76mの鐘楼クレリゴスの塔など、海洋交易で反映した商人たちが建てた様々な様式の歴史的建築物が残ります。
ポルトでは独特の甘みをもったポートワインを18世紀から輸出しており、旧市街とワイン工場のあるドウロ川対岸を19世紀にエッフェルの弟子が設計した上下2段の鉄橋「ドン・ルイス1世橋」が結ぶ。
リガの歴史地区
登録年1997年 登録基準ⅰ、ⅱ
ラトビアの首都リガは、13世紀初頭ローマ教皇の命を受けた宣教師と十字軍によって築かれました。
その後、ドイツから移住してきた商人によって発展し13世紀後半にはハンザ同盟に加盟しました。
18世紀の帝政ロシア時代に建造された新市街には富裕層が建てたユーゲントシュティール様式の建築物が立ち並び、建築家ミハイル・エイゼンシュテインが設計した集合住宅も残っています。
ドゥブロヴニクの旧市街
登録年1979年/1994年範囲拡大/2018年範囲変更 登録基準ⅰ、ⅲ、ⅳ
13世紀以降、地中海交易の重要拠点のラグーサ共和国としてヴェネツィアと並ぶ繁栄を遂げたドゥブロヴニクには、さまざまな建築様式が混在する美しい街並みが残ります。
1667年の大地震による壊滅的な被害から立ち直るも、1990年代のユーゴスラヴィア崩壊による内戦で再びダメージを受けました。
城壁や聖ブラシウス教会など現在は復興が進んでいます。
ウィーンの歴史地区
登録年2001年/2017年危機遺産登録 登録基準ⅱ、ⅳ、ⅵ
古代ローマ軍が築いた駐屯地を起源とするウィーンは、ハプスブルク家の王都として繁栄しました。
旧市街には12世紀建造の聖シュテファン大聖堂や18世紀建造のベルヴェデーレ宮殿などがあります。
19世紀半ば、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は旧市街を囲んでいた城壁を撤去してリンクシュトラーセと呼ばれる環状道路をひき、沿線には近代的な公共建築を築くなど近代都市への大改造を行いました。
モスクワのクレムリンと赤の広場
登録年1990年 登録基準ⅰ、ⅱ、ⅳ、ⅵ
クレムリンと赤の広場は、モスクワ大公国からロシア帝国、ソビエト連邦、そして現在のロシア連邦に至る歴史が刻まれた場所です。
1156年に築かれた砦がクレムリンの起源となり、のちにイヴァン3世がレンガ造りの城壁や塔、城門を建造し、城壁内にはウスペンスキー大聖堂をはじめ壮麗な大聖堂や宮殿が建てられました。
城壁外には15世紀から大規模な市場が開かれていた「赤の広場」があります。
鼓浪嶼(コロンス島):歴史的共同租界
登録年2017年 登録基準ⅱ、ⅳ
1843年、南京条約に基づいて厦門が開港し重要な貿易港になると、1903年から鼓浪嶼は外交人のための居留地(国際共同租界)となりました。
鼓浪嶼はモアイ・デコ・スタイルなどの建築様式が流行し、ヨーロッパと中国の文化が混ざり合う顕著な例と評価されている。
ジェンネの旧市街
登録年1988年/2016年危機遺産登録 登録基準ⅲ、ⅳ
ニジェール川とその支流のバニ川に挟まれた内陸のデルタ地帯に広がるジェンネは、内陸部と都市をつなぐサハラ交易の中継都市として発展しました。また、アフリカにおけるイスラム教布教に重要な役割を果たしてきました。
日干しレンガの土台に泥を塗って仕上げるスーダン様式の家々が軒を連ね、その中心には高さ11mの大モスクワがあります。
2016年、保護体制の不備のため危機遺産登録されました。
ケベック旧市街の歴史地区
登録年1985年 登録基準ⅳ、ⅵ
カナダ東部のケベックは、17世紀にフランスの植民地「ヌーヴェル・フランス(新しいフランス)」の拠点として築かれた城塞都市です。
1774年にケベック法が制定され、イギリスの植民地でありながらフランスの民法の効力、信仰の自由、フランス語の使用が認められました。
旧市街には、カナダ最大級の星形のシタデル(要塞)や19世紀末に開業したホテル、シャトー・フロントナックなどがあります。