「世界遺産検定」ヨーロッパの建築様式編

こんにちは。みやです。

世界遺産検定を受けようと思っているので勉強のついでにまとめようと思います。

 

ギリシャ・ローマ建築(古式様式)

古代ギリシャで生まれローマで発展した発展した様式で、後のヨーロッパ建築に大きな影響を与えました。

ギリシャ建築では、黄金比などを用いて神殿を中心に建物を美しく見せる工夫がなされました。

ローマ建築は、高い土木技術を用いたアーチ構造やドーム天井が特徴で公共建築物が多くつくられました。

ポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)

ポン・デュ・ガール|フランス 世界遺産|阪急交通社

登録年1985年/2007年範囲変更    登録基準ⅰ、ⅲ、ⅳ

フランス南部のガール川に架かる水道橋ポン・デュ・ガールは、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの時代につくられたもので、古代ローマの高い技術をよく表しています。

アウグストゥスの腹心である政治家アグリッパが紀元前19年頃、アヴィニョン近郊の水源地ユゼスからネマウスス(ニーム)まで水を引くために約50㎞の水路を建設したとされています。

全長275mの橋は3層のアーチ構造になっており、川面からの高さは49mあります。

建材には白亜紀の石灰岩が使われており、別の場所で加工済みのものを持ち込んで組み立てられたと考えられています。

 

ビザンツ様式

ビザンツ帝国で栄えた様式で、6世紀頃に最盛期を迎えました。

ローマ建築の様式と東方の文化が融合しており、バシリカなどの聖堂建築にドーム天井を組み合わせている点も特徴です。

内部はモザイクや大理石で装飾されています。

 

ラヴェンナの初期キリスト教建造物群

ラヴェンナの初期キリスト教建築物群|イタリア|世界遺産オンラインガイド

登録年1996年   登録基準ⅰ、ⅱ、ⅲ、ⅳ

フィレンツェの北東100㎞ほどにあるラヴェンナは、キリスト教をローマ帝国の国教としたテオドシウス帝の死後西ローマ帝国皇帝ホノリウスが遷都し、5世紀には西ローマ帝国の首都として栄えました。

6世紀にはビザンツ帝国における重要な拠点となり、なかでもユスティニアヌス帝との后テオドラはラヴェンナを重視したため大きく発展しました。

ラヴェンナには、聖堂や霊廟、洗礼堂など5~6世紀に建造された初期キリスト教の建築物が数多く残されており、サン・ヴィターレ聖堂をはじめ、サン・タポリナーレ・ヌ-ヴォ聖堂、テオドリック廟など8つの建造物が世界遺産に登録されています。

サン・ヴィターレ聖堂は八角形の平面をもつ集中式の聖堂で547年にユスティニアヌスによって建てられました。

ラヴェンナの聖堂群は、色大理石や色ガラスを用いたひときわ目を引くモザイク装飾が特徴で装飾の少ない質素な外観と対照的な内部の豪華なモザイク装飾からはビザンツ文化の影響がうかがえます。

 

ロマネスク様式

ローマ建築のバリシカを発展させた様式でキリスト教の終末思想の広がった10世紀頃に栄えました。

石造りの厚い壁や小さな窓、半円アーチ構造の天井などが特徴です。

 

アルルのローマ遺跡とロマネスク様式

アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群|フランス|世界遺産 ...

登録年1981年   登録基準ⅱ、ⅳ

フランス南部のプロヴァンス地方にあるアルルには、古代から中世の遺跡が数多く残されています。

前46年にカエサルによってローマ植民地となると、ローマ川河口と内陸部をつなぐ商業的な拠点として発展しました。また4世紀頃からは、初期キリスト教にとって重要な都市となりました。

世界遺産には円形闘技場やローマ劇場、コンスタンティヌスの大浴場、サン・トロフィーム聖堂などが登録されています。

紀元前90年頃に建てられた円形闘技場は、2万人を収容することができ、中世には内部に家屋や教会が設けられて要塞兼住居としても使用されました。

ローマ劇場は、ローマ衰退後には採石場となったが、「2人の未亡人」と呼ばれる2本の石柱や劇場の土台が残されています。

4世紀につくられたコンスタンティヌスの大浴場には、湯の温度を調整する機能やサウナ部屋、床暖房装置などもありました。

聖トロフィムスに捧げられたサン・トロフィーム聖堂は、11~12世紀に改築されたフランスにおける代表的なロマネスク建築で扉の上のタンパンには「最後の審判」の彫刻が残っています。

 

ゴシック様式

飛梁(外壁を補強するため屋外に位置する柱)が支えることで、高い天井と大きく色鮮やかなステンドグラスの入った窓が生み出されました。

天井の高さと光を追求しており、建物そのものが「神は光なり」というキリスト教の世界観を表しています。

 

ケルンの大聖堂

ケルン大聖堂|ドイツ 世界遺産|阪急交通社

登録年1996年/2008年   登録基準ⅰ、ⅱ、ⅳ

ドイツ西部にあるケルン大聖堂は、キリスト教建築としては最大規模のゴシック様式の傑作です。

1248年に、建築家ゲルハルトがフランスのアミアン大聖堂を手本として建築を始め、ゲイハルトの没後も建築は進められたが、資金不足のために1560年に内陣だけ完成した状態で工事が中断されてしまいました。

この後1814年にダルムシュタットで西側正面のオリジナル図面が見つかり、300年近い中断を経て1842年に建築が再開され、1880年に完成しました。

聖堂内部は内陣と周廊、祭室群で構成されており、入口周辺に見られる浮き彫りの装飾や内陣に続く身廊の天井を支えるリブ・ヴォールト、周廊のステンドグラスなどはゴシック様式の典型といえます。

 

ルネサンス様式

古代ギリシャやローマなどを模範とした15~16世紀の様式です。

幾何学図形を基調としたバランスの取れた造形が特徴です。

 

フィレンツェの歴史地区

フィレンツェ歴史地区 - イタリア政府観光局(ENIT)公式サイト

登録年1982年/2015年範囲変更   登録基準ⅰ、ⅱ、ⅲ、ⅳ、ⅵ

イタリア中部、トスカーナ地方のアルノ湖畔に広がるフィレンツェは、14世紀末から17世紀にかけてルネサンスの中心となった商業都市です。

15世紀半ばに金融業で頭角をあらわしたコジモ・デ・メディチが市政を握るとその後約300年間にわたってメディチ家の下で繁栄しました。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は、着工から140年かけて完成しているためゴシック様式とルネサンス様式が混在しているが、ブルネッレスキが設計した二重構造の円蓋(クーポラ)は、ルネサンス様式建築の代表とされています。

メディチ家が収集したボッティテェリやレオナルド・ダ・ヴィンチなどの作品はかつてトスカーナ大公国の行政庁舎であったウフィツィ美術館に収蔵されています。

 

バロック様式

大航海時代などに栄えた、過剰な装飾や凸凹の強調、絵画などによる内装を特徴とする様式です。

 

ヴュルツブルクの司教館と庭園群

ヴュルツブルクの司教館|ドイツ 世界遺産|阪急交通社

登録年1981年/2010年範囲変更   登録基準ⅰ、ⅳ

ドイツ南部のヴュルツブルクにある司教館は、18世紀のバロック建築を代表する建造物です。

シェーンボルン家のヨハン・フィリップ・フランツが司教になると、宮廷礼拝堂や5つの大広間、300以上の部屋をもち、壁や天井には華麗なストゥッコ装飾などが施された司教館を建築しました。

宮廷建築家バルタザール・ノイマンを中心に画家ジョヴァンニ・バティスタ・ティエポロやアントニオ・ポッシなど多くの芸術家が関わっています。

 

ロココ様式

バロック様式の延長線上にある、淡い色彩なども用いた軽快で優美な室内装飾が特徴の様式です。

 

ヴィースの巡礼教会

ヴィースの巡礼教会|ドイツ 世界遺産|阪急交通社

登録年1983年/2011年範囲変更   登録基準ⅰ、ⅲ

ドイツ南部バイエルン州のヴィースの丘の上にある巡礼教会は、華麗な室内装飾をもつロココ様式の傑作とされる建築物です。

1738年に木彫りのキリスト像が涙を流す「ヴィースの奇跡」が起こると、キリスト像を納める礼拝堂が建てられました。

その後、1745年にドミニクス・ツィンマーマンによってこの礼拝堂をもとにした現在のロココ様式の教会に改築が始まり1757年に完成しました。

 

新古典主義様式/歴史主義様式

古典様式を再評価した新古典主義と過去の建築様式を用いる歴史主義です。

 

ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター・アビーとセント・マーガレット教会

ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター大寺院及び聖マーガレット ...

登録年1987年/2008年範囲変更   登録基準ⅰ、ⅱ、ⅳ

イギリスの政治の中心地であるロンドンのウェストミンスター地区にたつ歴史的建造物群です。

かつて王宮であったウェストミンスター宮殿は、1547年から国会議事堂として使用されるようになったが、1834年の大火で大部分が焼失し歴史主義様式のゴシック・リバイバルで再建されました。

ウェストミンスター・アビーは、歴代の王が戴冠式を行った修道院でセント・マーガレット教会に隣接しています。

 

近現代建築

産業革命によって誕生した鉄やセラミックなどの新素材を用いた自由な造形です。

 

ストックレ邸

総合芸術のさきがけ!ベルギーの世界遺産ストックレー邸をご紹介 ...

登録年2009年    登録基準ⅰ、ⅱ

ブリュッセルの高級住宅地にたつストックレ邸は、銀行家A.ストックレの依頼によりウィーン分離派(ゼツェッション)の中心メンバーであるヨーゼフ・ホフマンがゲザムトクンストヴェルクの方針に従い1911年に完成させました。

ウィーン分離派特有の平面と直線を多用したこの邸宅と庭園は、アール・ヌーヴォーにおける革新的な変化をうちたて、その後のアール・デコとモダニズム建築が生まれるきっかけをつくりました。