「世界遺産検定」混ざり合う文化編

こんにちは。みやです。

世界遺産検定を受けようと思うので、勉強のついでにまとめようと思います。

 

ストラスブール:グラン・ディルからヌースタットのヨーロッパの都市景観

ストラスブールのグラン・ディルとノイシュタット|フランス|世界遺産 ...

登録年1988年/2017年範囲拡大   登録基準ⅱ、ⅳ

フランス東部アルザス地方の中心都市ストラスブールは、ライン川を挟んでドイツと国境を接する場所です。旧市街はイル川の中州にあり、グラン・ディル(大きな島)と呼ばれています。

ドイツ語で「街道の街」を意味するその名の通り、ストラスブールは多くの人と物が行き交う交通の要衝として発展しました。

中世末頃からはドイツ人文主義の中心地となり、文化面でも重要な役割を果たしました。

旧市街には赤砂岩を用いたゴシック建築の大聖堂をはじめ、歴史的建造物が残っています。

プティット・フランス地区には、コロンバージュ(ハーフティンバー)と呼ばれる柱や梁を外壁に露出させたアルザス伝統の木組みの家々が並んでいます。

一方で、20世紀後半には欧州議会が置かれるなどEUの中枢としても機能しヨーロッパ統合を象徴する都市という新たな顔も見せています。

 

セビーリャの大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館

せかけんクイズ No.170 – 世界遺産検定

登録年1987年/2010年範囲変更   登録基準ⅰ、ⅱ、ⅲ、ⅵ

スペイン南西部セビーリャには、ヨーロッパとイスラムが融合した建造物が立ち並びます。

8~12世紀にイスラム勢力が支配したこの地を13世紀にキリスト教徒がレコンキスタ(国土回復運動)で奪還しました。

そのため街並や建造物はイスラム式とヨーロッパ式が混在し、アラビア語で宮殿を意味するアルカサルは幾度の改築の結果、イスラム、ムデハル、ゴシック、ルネサンスの4つの様式が混在する宮殿となりました。

スペイン最大の大聖堂はモスクを改装したもので、ミナレットを転用したヒラルダの塔と呼ばれる鐘楼が残っています。

 

グラナダのアルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ離宮、アルバイシン地区

グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン地区 ...

登録年1984年/1994年範囲拡大   登録基準ⅰ、ⅲ、ⅳ

グラナダにあるアルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ離宮、アルバイシン地区は、イベリア半島最後のイスラム王朝であるナスル朝(グラナダ王国)時代に築かれました。

1238年にムハンマド1世が着工したアルハンブラ宮殿はイスラム建築の最高峰と称され、イスラム文化の特徴であるアラベスク文様で飾られた幻想的な空間が広がります。

宮殿は創建以来何度も増改築され、宮殿の中心には王のプライベートな空間である「ライオン宮」と王が公務を行う「コマ―レス宮殿」があります。

 

カザン・クレムリンの歴史的建築遺跡群

カザン クレムリンの歴史遺産群と建築物群 クチコミ・アクセス・営業 ...

登録年2000年   登録基準ⅱ、ⅲ、ⅳ

ロシア連邦西部、沿ヴォルガ連邦管区のタタールスタン共和国の首都カザンには、イスラムとロシア正教の影響を受けた歴史的建築物が立ち並びます。

1562年に完成したブラゴヴェシェンスキー大聖堂はカザンに特有の砂岩づくりの大聖堂で、現存するクレムリン最古の建築とされています。

クレムリン中最も高い6層58mのシュユンベキ塔には、イタリア建築の影響も指摘されています。

カザン・クレムリンの世界遺産登録に尽力したタタールスタン共和国初代大統領のミンチメル・シャイミーエフが主導となり、2005年にはクル・シャリフ・モスクがクレムリンの城塞内に再建されました。

4つのミナレットをもつヨーロッパ最大規模のモスクは、カザンのタタール時代を今に蘇らせています。

 

ペルシア庭園

ペルシャ式庭園|イラン|世界遺産オンラインガイド

登録年2011年   登録基準ⅰ、ⅱ、ⅲ、ⅳ、ⅵ

イランの国内各州に点在する9つの庭園の様式は、アケメネス朝ペルシアの初代皇帝キュロス2世(大キュロス)の時代にルーツをもち、ゾロアスター教の「空」「大地」「水」「植物」の役割をもつ区画に四分割された特徴的な設計をもちます。

また「エデンの園」の概念を具現化したものともされており、敷地内部を幾何学的に分割した四分庭園(チャハル・バーグ)様式の設計は、後世の西アジア諸国、およびインドやスペインの庭園芸術にも影響を与えました。

 

チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅(旧名ヴィクトリア・ターミナス)

チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅(旧ヴィクトリア ...

登録年2004年   登録基準ⅱ、ⅳ

インド西部ムンバイ(ボンベイ)にあるチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅は、インドの伝統的な様式を取り込んだ、英国ヴィクトリア朝のゴシック・リバイバル様式の傑作建築です。

英国人建築家F・W・スティーヴンスにより1878年から10年以上かけて完成し、ゴシック建築の都市ムンバイの象徴となりました。

石づくりのドームや小塔、平面プランにはインドの伝統的な宮殿建築の要素が見られ、英国とインドの文化の融合を示しています。

インド亜大陸における最初のターミナル駅であり、今日まで続く金融・商業の一大都市ムンバイの経済活動を支え続けています。