「世界遺産検定」未来への教訓編
こんにちは。みやです。
世界遺産検定を受けようと思っているので、勉強のついでにまとめたいと思います。
- オーストラリアの囚人収容所遺跡群
- モスタル旧市街の石橋と周辺
- アウシュヴィッツ・ビルケナウ:ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940ー1945)
- ビキニ環礁-核実験場となった海
- バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群
- 円形都市ハトラ
- クンタ・キンテ島と関連遺産群
オーストラリアの囚人収容所遺跡群
登録年2010年 登録基準ⅳ、ⅵ
「オーストラリアの囚人収容所遺跡群」は、大英帝国が18~19世紀につくった1000以上の囚人遺跡の一部が登録されています。
これらの囚人遺跡の多くは、シドニー近郊やタスマニア、ノーフォーク島とフリーマントルの近くに点在しています。
ニュー・サウス・ウェールズの初代総督公邸、ダーリントン保護観察所、フリーマントル刑務所、現在は博物館になっているハイド・パーク・バラドックスなど合計11の施設が世界遺産に登録されています。
当時、大英帝国はオーストラリア大陸において、刑場をともなった植民地を拡大させており、先住民であるアボリジニは住居地を追われることとなりました。
囚人は主に犯罪者や政治犯などで1787年から1868年の間に、女性や子供を含む約16万6000人もの人が植民地への流刑となりました。
それぞれの施設は、懲罰としての収監と植民地開拓のための労働を通しての更生という2種類の観点から固有の役割を与えられていました。
こうした囚人収容所遺跡群は、西欧諸国による大規模な囚人流刑と囚人の労働力を利用した植民地拡大政策の大きな証拠であり負の遺産のひとつと考えられています。
モスタル旧市街の石橋と周辺
登録年2005年 登録基準ⅵ
ボスニア・ヘルツェゴビナ南部にあるモスタルは、オスマン帝国時代の15世紀につくられた街です。
ネレトヴァ川の東岸にはオスマン帝国時代から続くムスリム(イスラム教徒)地区があり、西岸には19世紀のオーストラリア=ハンガリー帝国時代に整備されたクロアチア人(カトリック信者)地区があります。
この両岸をつなぐ「スターリ・モスト(古い橋)」は、民族紛争により1993年に崩落しました。
1995年に紛争が終了すると、ユネスコの協力などを得て2004年に再建され、民族和解の象徴となっています。
アウシュヴィッツ・ビルケナウ:ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940ー1945)
登録年1979年 登録基準ⅵ
ポーランド南部のオシフィエンチム(ドイツ名アウシュヴィッツ)は、ナチス・ドイツによる未曾有のホロコースト(大量殺戮)が行われた悲劇の地です。
アウシュビッツ強制収容所が建設されたのは第二次世界大戦中の1940年、2年後の1942年には隣のビルケナウに第2収容所も完成し、ヨーロッパ中から人々が送り込まれました。その多くはユダヤ人でした。
ホロコーストの実態は生存者たちの証言によって戦後明らかにされ、世界中に大きな衝撃を与えました。
ビキニ環礁-核実験場となった海
登録年2010年 登録基準ⅳ、ⅵ
ビキニ環礁はマーシャル諸島初の世界遺産です。
第二次世界大戦直後の1946年から1958年にかけてアメリカはこの場所で67回の核実験を実行しました。
ビキニ環礁の底には核実験で沈没した船が眠っており、水爆「ブラボー」による直径約2㎞のブラボー・クレーターも残っています。
日本のマグロ漁船、第五福竜丸もその水爆実験で被爆しました。
アメリカによる核実験の破壊力の累積は広島に投下された原爆の約7000倍に及び、生態系に甚大なダメージを与えました。
バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群
登録年2003年/2003年危機遺産登録 登録基準ⅰ、ⅱ、ⅲ、ⅳ、ⅵ
アフガニスタン北東部のバーミヤン渓谷には、1~13世紀頃に築かれた、およそ1000もの石窟遺跡が点在しています。
西アジアや中央アジア、インドを結ぶ要所に位置し、交易の中継地として栄えました。
2体の巨大な磨崖仏をはじめとする石像や壁画からは初期のガンダーラ美術の変遷が様子が伺えます。
2001年、タリバン政権に磨崖仏が爆破され、石窟内の壁画も8割が焼失しました。
円形都市ハトラ
登録年1985年/2015年危機遺産登録 登録基準ⅱ、ⅲ、ⅳ、ⅵ
イラク北部に位置する「円形都市ハトラ」は、紀元前2世紀から後2世紀に西アジアに栄えたパルティア王国の軍事都市です。
砂漠と草原という立地環境に、都市を囲む直径2㎞の二重の円形城壁を備えたハトラは、宿敵ローマ軍の侵略に対する国防の要でした。
多くの隊商都市を抱えるパルティア王国には東西の文化が流れ込んでおり、ハトラの神殿群の建築様式にはヘレニズムやローマ、アジア的な装飾の意匠が見られます。
2014年頃からこの一帯を占拠していた過激派組織IS(イスラム国)は、2015年3月にこの遺跡を破壊、同年、不安定な政情も鑑み危機遺産リストに記載されました。
クンタ・キンテ島と関連遺産群
登録年2003年 登録基準ⅲ、ⅵ
クンタ・キンテ島は、ガンビア共和国の西部、ガンビア川の河口にあります。
この島はゴレ島と並ぶ奴隷貿易の重要拠点であり、一帯は奴隷の供給地とされていました。
作家アレックス・ヘイリーは、この地で捕らえられ奴隷となった先祖クンタ・キンテを主人公に「ルーツ」を著しました。
島には、ヨーロッパ各国が15~20世紀に築いた要塞や奴隷の詰所などのほか、バレン要塞やポルトガル人が交易のために建てた建造物サン・ドミンゴの廃墟、礼拝堂などが残っています。