「世界遺産検定」古代文明編

こんにちは。みやです。

世界遺産検定を受けようと思っているので、勉強のついでにまとめたいと思います。

 

メンフィスのピラミッド地帯

メンフィスのピラミッド地帯 | 世界の歴史まっぷ

登録年1979年   登録基準ⅰ、ⅲ、ⅵ

メンフィスでは古代エジプト古王国時代(紀元前2650~前2120)に築かれた世界的にも有名なピラミッドを見ることができます。ザギからダハシュールに至る約30㎞の間にピラミッドを含むおよそ30の歴史的建造物が点在しています。

古王国時代以前の王や貴族の墓は、日干しレンガなどでつくられたマスタバと呼ばれる角形の墳墓でした。

初めてピラミッドを建造させたのは古王国時代第3王朝のジェセル王です。これまでとは違う墓をつくるよう「不滅の建材」である石を使ってピラミッドを建造しました。これ以後、歴代の王たちは自身の力の大きさを競い合うようにピラミッドを建造していきました。

第4王朝のスネフェル王は、屈折ピラミッドや赤のピラミッドなど在位中に3つのピラミッドを建造したとされています。

スネフェル王の跡を継いだクフ王の時代には、建造時の高さが150mという巨大なピラミッドがつくられました。

クフ王のピラミッド建造には多くの人が従事し、その数は3万人とも10万人とも推測されているが、どのような方法で石を積み上げたのかは明らかになっていません。

クフ王のピラミッド周辺からは労働従事者が寝泊まりする宿舎跡が発見されており、ピラミッドの建造は農閑期の人々に仕事を与える公共事業として行われていたとする説もあります。

 

古代都市テーベと墓地遺跡

古代都市テーベとその墓地遺跡|エジプト|世界遺産オンラインガイド

登録年1979年   登録基準ⅰ、ⅲ、ⅵ

エジプトのナイル川中流域にあるルクソールは、かつてテーベと呼ばれエジプト中王国(紀元前2020年~前1793年)の第11王朝から新王国の第18王朝まで都が置かれました。

第12王朝時代に築かれたアメン神を祀るカルナク神殿や都の廃墟、王族の墓所などが残っています。

ナイル川の東岸と西岸では役割が異なり、日が昇る東岸にはカルナク神殿やルクソール神殿があり、日が沈む西岸にはネクロポリス(死者の都)と呼ばれる墓地遺跡群が残されています。

 

ギョベクリ・テぺ

ギョベクリテペ遺跡・ギョベクリ・テペ|トルコ 世界遺産旅行 | トルコ ...

登録年2018年   登録基準ⅰ、ⅱ、ⅳ

アナトリア半島の南東の小高い丘に位置するギョベクリ・テぺは、楕円形や長方形をした巨大構造物群からなる考古遺跡です。

これらは、先土器新石器時代である紀元前9600年から前8200年頃に狩猟採集民によって築かれたもので葬送の儀式などに用いられていたと考えられています。

独特なT字型の柱にはライオンやウシなど野生動物などの絵が彫られており、暮らした人々の生活や信仰をうかがい知ることができます。

 

ヒッタイトの首都ハットゥシャ

ハットゥシャ:ヒッタイトの首都|トルコ 世界遺産|阪急交通社

登録年1986年   登録基準ⅰ、ⅱ、ⅲ、ⅳ

トルコ中央部、ボアズカレ地方の東西約1.3㎞、南北約2.1㎞の範囲に広がるハットゥシャの遺跡は、アナトリア(小アジア)に君臨したヒッタイト王国の首都遺跡です。

この地を拠点とした騎馬民族のヒッタイト人は優れた製鉄技術をもっており、その技術を独占しました。

エジプトやバビロニアとともに古代オリエントの3大強国に数えられたが、紀元前12世紀頃に地中海から侵入してきた「海の民」と呼ばれる民族によってハットゥシャを破壊され滅亡したと考えられています。

二重の城壁に囲まれたハットゥシャの廃墟には、岩にレリーフが刻まれたヤズルカヤ神殿をはじめ、スフィンクス門、場外に通じる地下道、貯蔵庫、王宮などの遺跡が残ります。

また、ビュユックカレと呼ばれる大城塞からは楔文字が記された2万枚以上もの粘土板が20世紀初頭に出土しています。

ヒッタイトとエジプトが「カデシュの戦い」後に結んだ和平文書らしきものも含まれており、謎多きヒッタイト王国の実情を知るうえで貴重な手がかりとなっています。

 

モヘンジョ・ダーロの遺跡群

モエンジョ=ダーロ | 世界の歴史まっぷ

登録年1980年   登録基準ⅱ、ⅲ

パキスタン南部のインダス川下流に位置するインダス文明(紀元前2300~前1800年頃)最大の都市遺跡です。

モヘンジョ・ダーロは「死者の丘」を意味する言葉でこの地で多数の人骨が発見されたことからその名がつきました。

遺跡は約1.6㎞四方の規模で、西側の城塞地区と東側の市街地区に分けられます。

市街地区には基盤の目状に走る街路や排水溝などの高度な都市計画の形跡が見られます。

城塞都市には巨大な宮殿や墓所が発見されていません。

このことから、インダス文明には強大な権力者が存在しなかったとの推測がなされています。

 

殷墟

殷墟 - Wikipedia

登録年2006年   登録基準ⅱ、ⅲ、ⅳ、ⅵ

北京の南方、安陽市にある殷墟は中国最古の都市遺跡のひとつです。

現在確認できる中国最古の王朝として知られる殷王朝後期にあたる紀元前1300年頃から前1046年頃まで都が置かれていました。

遺跡からは、神託などの結果を甲骨文字で記した亀の腹甲など古代中国にあける言語や信仰の発展を示す重要な遺物が数多く出土しています。

また妃の墓が当時の王族の墳墓には珍しく完全な形で残っており、ほかにも皇族陵墓や宮殿の遺跡がいくつも発掘されています。

 

アッシュル(カラット・シェルカット)

アッシュール(カラット・シェルカット)|イラク|世界遺産オンライン ...

登録年2003年/2003年危機遺産登録   登録基準ⅲ、ⅳ

イラクのチグリス川中流域のアッシュルは、現在のカラット・シェルカットに位置します。紀元前3000年頃から古代アッシリアの最初の首都となり、アッシュル神を祀る宗教的拠点として発展しました。

遺跡にはジッグラト(聖塔)や宮殿跡なども含まれるが、多くは現在も未発掘のままです。

遺跡付近にダムを建設する計画があり、浸水の危険性があるとして世界遺産登録と同時に危機遺産にも登録されています。

 

ペルセポリス

ペルセポリス|イラン 世界遺産|阪急交通社

登録年1979年   登録基準ⅰ、ⅲ、ⅵ

イラン南部の「ペルセポリス」は、アケメネス朝ペルシアの最盛期にあたる紀元前6~前5世紀にかけて築かれた都市です。

3代皇帝ダレイオス1世の命で創建されたこの都市は宗教儀礼の場として用いられたが、紀元前330年にマケドニアのアレクサンドロス大王の侵攻によって破壊されました。

ペルセポリスは石を20mほど積み上げた大基壇の上に築かれており、入口には緩やかな勾配の大階段と「万国の門」の別名をもつクセルクセス門があります。また、基壇上に「謁見の間(アパダナ)」があります。