「世界遺産検定」十字軍と騎士団編
こんにちは。みやです。
世界遺産検定を受けようと思っているので、勉強のついでにまとめたいと思います。
- バレッタの市街
- クラック・デ・シュヴァリエとカラット・サラーフ・アッディーン
- ロドス島の中世都市
- トマールのキリスト騎士団の修道院
- アッコの旧市街
- マルボルクのドイツ騎士修道会の城
- カステル・デル・モンテ
バレッタの市街
登録年1980年 登録基準ⅰ、ⅵ
イタリアの南方、地中海に浮かぶマルタの首都バレッタは、16世紀にオスマン帝国にロドス島を追われた聖ヨハネ騎士団が新たに拠点とした地です。
街の名前は当時の聖ヨハネ騎士団団長ジャン・パリソー・ド・ラ・バレッテにちなんでいます。
バレッタは、オスマン帝国の襲撃に備えイタリアの建築家フランチェスコ・ラパレッリ・ディ・コルトーナの基本設計により堅牢な城塞都市になりました。
聖ヨハネ騎士団はマルタに移ってからマルタ騎士団とも呼ばれ、1571年のレパントの海戦ではオスマン軍撃退に貢献しました。その後、1798年にナポレオンの侵攻によりバレッタを追われました。
現在、騎士団長の宮殿は大統領府と議会が置かれ、また武器庫は博物館として当時の様子を伝えています。
クラック・デ・シュヴァリエとカラット・サラーフ・アッディーン
登録年2006年/2013年危機遺産登録 登録基準ⅱ、ⅳ
シリア北西部にあるクラック・デ・シュヴァリエ、およびカラット・サラーフ・アッディーンは11~13世紀の十字軍遠征時代の代表的城塞建築です。
クラック・デ・シュヴァリエは聖ヨハネ騎士団の本拠地が置かれた城です。この地には「クルド人の城」と呼ばれる砦が存在したが、聖ヨハネ騎士団が占領後、内外2重の城壁をもつ集中型の要塞に改築しました。
カラット・サラーフ・アッディーンは12世紀に十字軍が所有した城塞だが、わずか2日でイスラムの英雄サラディンが陥落させたことから「サラディンの城」を意味する現在の名前で呼ばれるようになりました。
ロドス島の中世都市
登録年1988年 登録基準ⅱ、ⅳ、ⅴ
エーゲ海に浮かぶ「ロドス島の中世都市」は、14世紀初頭イスラム勢力に追われた聖ヨハネ騎士団がキプロス島に代わる新たな本拠地とした要都市です。
聖ヨハネ騎士団はフランスやイングランド、プロヴァンスなど7つの国々の貴族の子息で構成されていたため、ロドス島には騎士が用いる言語別に建てられた7つの館があります。
トマールのキリスト騎士団の修道院
登録年1983年 登録基準ⅰ、ⅵ
ポルトガル中央部サンタレンにあるトマールの修道院は、12世紀半ばにこの地を与えられたテンプル騎士団によって築かれました。
初期ムデハル様式とゴシックやルネサンス、マヌエルなどの各様式が見事に融合しており、なかでもサンタ・バルバラ回廊の3つの大窓に施された豪華な彫刻はマヌエル様式の傑作とされています。
修道院はテンプル騎士団が解散した14世紀以降もキリスト騎士団に受け継がれ、エンリケ航海王子が団長に就任しました。
アッコの旧市街
登録年2001年 登録基準ⅱ、ⅲ、ⅴ
イスラエルの北部にある「アッコの旧市街」は、十字軍の遺構の上に建てられた城塞都市です
12~13世紀にイスラム教徒とキリスト教徒がアッコを巡って争い、13世紀末にはエジプトのマムルーク朝の支配下に入りました。
その後、この街のほとんど廃墟になっていたが、オスマン帝国が18世紀半ばに復興しました。
地下には十字軍の主力であった聖ヨハネ騎士団の集会場や教会、宿泊設備などが残り、中世十字軍都市の設計や建築に関する貴重な資料となっています。
マルボルクのドイツ騎士修道会の城
登録年1997年 登録基準ⅱ、ⅲ、ⅳ
ポーランド北部のマルボルクにはドイツ騎士修道会がバルト海沿岸征服の拠点として築いた修道院兼居城があります。
13世紀に建設されたゴシック様式の建築物で中世のレンガ造りの城としてはヨーロッパ最大です。
第二次世界大戦におけるドイツ軍の爆撃で大部分が破壊されたが、現在は修復され博物館になっています。
カステル・デル・モンテ
登録年1996年 登録基準ⅰ、ⅱ、ⅲ
イタリア南部のプーリア州にある「カステル・デル・モンテ」は、第5回十字軍を指揮した神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世が狩猟時の住居として1240年頃に建てた城塞です。
フリードリヒ2世自らが設計に参加したこの城塞は外観が特徴的で、八角形の壁が八角形の中庭を取り囲んでおり、壁の角に八角形の塔が8つ配されています。